2010-07-20 – blog – Junko Takei , Klavierstunde

  • マイノリティ

小学生の授業でも、大人になっても学んだ「差別をしてはいけません」という感覚は

自分が明らかに「あるカテゴリーのなかに入れられてしまう」という経験があって初めて少しだけ意味がわかった・・ような気がします。

ドイツで住む場所を見つけるとき、買い物をする時、様々な場面で感じたことです。

私ってヨーロッパに行けば「ひとりのアジア人なんだな」ということ。
どんな仕事をしてきたか、どんな髪型をしてどんな服の趣味を持っているか、などは自分のアイデンティティの中にまず最初は入ってこない..というショック。

日本人ではなく、アジア人という目は、会う人との会話や目線から私が見て取ったものかもしれません。


困ったときに泣いて相談をした、韓国人の友達からもらった手紙に
「いずれにせよ、私たちは(ドイツの中では)外国人。
上手く行かないのは当たり前。どうしたいのかの意志を人一倍持っていないと、何も開けないし何も得られないと思う。困ったときはまたいつでもコンタクトを取ってね」

と書かれていました。

彼女がオルガニストとして仕事をしていた教会に連れて行ってもらって、演奏を聴かせてもらったり、
どう進んでよいかもわからなかった私に親切に情報を与えてくれたり、
精神的に助けられたという思い出があります。

私と彼女の間には線が一本「ピシッ」・・と引かれているのを感じましたが
ここからは立ち入らないという境界線、そして対等に認めてくれて目線の上下を作らない、というその関係からのアドヴァイスが私を助けてくれました。



「個人」ということを考えたことが最近あり、その時に思い出したことです。